(147)壁画のなかのムーミン

コトカに残るトーベ・ヤンソンの壁画。長年放置された壁画が多い中、これは1989年秋に修復されている。

ムーミンの作者トーベ・ヤンソンが手がけた壁画はフィンランドのあちこちにある。場所を移した作品もあれば、今なおそこに残っているものもある。

トーベの壁画は風景によく馴染んでいるのか、多くの人が、その作品の存在をほとんど意識せずに行き来していることにも驚く。私が前のめりすぎるのか。それにしてもだ、「そんなのあった?」と返ってくることの多いこと。学校の玄関ロビー、精神病院、保育園…そういえば、「最初のムーミン」と呼ばれるサマーハウスの離れにあったトイレの壁の絵などは、白い厚紙がすっかり黄ばんでいるだけでなく、紙のあちこちが破れていたり劣化がひどかった。トーベはそれでいいと思っていそうだけれど、あの時も紙はトイレと一緒に歳月を重ねて風景に馴染んでいた。その家の人たちは、消えてしまいそうな最初のムーミンをさして特別視することもなかった。

仕事でコトカという港町へ行くことになり、私は密かにコトカに残っているらしいトーベの壁画を見られたらいいなと調べていた。ところが、情報が曖昧で要領を得ない。

1949年、トーベはコトカの幼稚園で壁画を描いて欲しいという依頼を受けた。港町の風景を見る間すら惜しんで壁に絵を描き続けたという。おとぎの世界が広がっていた。そこに描かれた怖さと安らぎが混在している世界は、トーベらしさとも言われるものだ。

壁画のあるその場所は幼稚園としての役目を終えてから、様々な事務所として使われてきていた。ところが、今はどんな事務所になっているのかが分からない。もう壁画を見るのは無理かなと半ば諦めた頃、休憩時間に会った人が「何となく見た記憶がある!」と言いだし、あちこちに電話をして調べてくれたのだ。私が仕事で伺った部署の管轄下にある事務所が現在使っていることが分かった。ということは、休憩時間に居合わせた人たちは皆その壁画を見ているはずなのに、はっきりと思い出せた人はたった一人だったのだ。どんだけ風景に馴染んでるんだ。

仕事を終え、私は壁画を見せてもらうことになった。それはこれまで見たどの壁画より発色が良く、ムーミンの黄金時代と呼ばれる時代に入りつつある時期ということもあり、ムーミンたちもあちこちにちりばめられていた。事務所で働く女性は「私はね、いつもここで絵を眺めながらお昼を食べられるの。ちょっとした福利厚生よね」と声を弾ませて話してくれた。毎日この絵を眺めてなお、この絵の前にいることが幸せなんだ。

壁画のある事務所まで案内してくれた女性がふと「職業専門学校の食堂の壁にもトーベの壁画があるはず!」と思い出してくれた。日常の風景に馴染み過ぎてて、どうもすぐには思い出せないらしい。でも、トーベの絵を眺めるうちに思い出してくれたのだ。

私たちは競歩くらいの勢いで向かった。あった。絵を前に感動で震える私をよそに、周囲は淡々と学校のランチを食べていた。今の時代、すぐ写真を撮るからだろう。絵の前に座っていた学生たちがさっと場所を空けてくれて、私はありがたく写真を撮らせてもらった。机の上に残された学生の水筒とトーベの壁画。その何気ない日常の感じがなんともいい。

馬に乗っている少女は作家本人、コトカへ向かうトーベ・ヤンソン本人だとインタビューで語っている。

森下圭子