(188)少女ソフィアの冬の森【フィンランドムーミン便り】

ペッリンゲの森は雪のなかで別の顔をみせる

最近フィンランドで注目されたトーベ・ヤンソン関連のニュースといえば、『少女ソフィアの夏』の映画化の話。実はコロナ以前に一度、同タイトルで映画化が話題になっていたものの、それとは別の企画のようだ。今回は主役のひとりであるおばあさん役が発表された。それがグレン・クローズとあって、フィンランドの各メディアが大きく取り上げた。もう一人の主人公ソフィアを誰が演じるかは、まだ発表されていない。この夏フィンランドで撮影という。

どこで撮影するかはまだ公表されていないものの、原作の『少女ソフィアの夏』は、トーベが夏を過ごした群島ペッリンゲが舞台になっていた。物語に登場する小屋の挿絵はトーベが弟と一緒に建てたブレッドシャール島の小屋と同じで、弟ラルスもそれを証言している。映画の話が大きくとりあげられ、ふと久しぶりにペッリンゲに行きたくなった。

ペッリンゲへの道のりは、途中から雪が降りだし、コテージに到着する頃には吹雪になっていた。いつもは車の窓から見える海が見えないのが不思議だった。凍った海の上に吹雪で積もった雪が被ると、雪原が広がっているようにしか思えない。あちこち歩いてみても、橋を渡っても、私は海を見ることができない。島にいる気がせず、ペッリンゲにいる実感は、島の人に会うことで維持しているように思った。

森へ行こう。吹雪のあとの快晴の日に、森の中を友人と歩いた。オフィシャルムーミンツアーでも歩く、友人の森だった。だから私は良く知っている。左は苔むしたやわらかい森、右へ行くと最初に秘密のきのこ場所があって、その先は岩の多いごつごつした足場の森。王様が腰かけたことで王の石と呼ばれるいつもの休憩場所は、左の森をぐっと登っていったところにある。右にはブルーベリーの茂みがある。ところが、夜に降り続けた雪に覆われた森では、私が記憶するすべての目印が隠れてしまっていた。感覚の片隅に自分の来たところを記憶するようにして歩いたものの、アッと言う間に方向感覚を失ってしまった。もちろん、自分の足跡をたどって戻ることはできる。でも、私はもはやどこを歩いているのかまったく分からず、しかも、目印が定まらず何を見ていいのか分からなくなってしまった。ただただ白い雪の美しさと、陽を浴びる雪景色に圧倒されるばかりだった。

島の森が安心できたのは、海の音が聞こえてきたからだ。迷子になっても何とかなると思わせてくれるお守りのような存在。ところが海の音がしない。ボートを走らせるモーターの音もない。凍てついた海は森の中にいる私に何も知らせてくれない。そんなことを考えていると友人は「ほら、風の音がする。海の風、海からの声がする」と言う。

いつの間にか私たちは森の車道に出ていた。木々にふわっと乗っている雪が風に吹かれてさらさらと舞い落ちていくところに日光があたると、雪はキラキラした。そうやって上のほうに気をとられていたら、向こうからスキー板をはいて元気よく滑って来る女性がいた。頬をピンク色に染めて、なんとも健康的で明るい表情をしていた。ああ、『ムーミン谷の冬』みたいだ。

ふだん暮らしているヘルシンキは街の建物が夏でも冬でも私の目印になっている。それは雪が降っても霧の中でも海が凍ってもそのままでいてくれた。ペッリンゲの島が雪に覆われているのを見たのは初めてのことで、森を歩いたり雪原と化した海を眺めたりしながら、初めて冬を見たときのムーミントロールのことを思い出していた。

桟橋だけが海の場所を教えてくれる

森下圭子