トーベ・ヤンソンが描いた、唯一のムーミンの「絵画」【本国サイトのブログから】
「ムーミン」シリーズの生みの親のトーベ・ヤンソンは、画家、小説家としても活躍しました。トーベは、絵画作品とムーミンの世界とは、断固として切り離していました。しかし、トーベは1960年、例外的にムーミンをテーマにした一枚の「絵画」を描いています。
なぜトーベは一枚だけ、ムーミンの絵画を描いたのでしょう?
ミニドキュメンタリー動画「ワイルド・クリフ――トーベ・ヤンソンとオーランド諸島の唯一無二のムーミンの絵画」では、トーベ・ヤンソン研究者、ローカルガイド、美術史研究家が、この特別な絵がどのような経緯で描かれたのか、とても興味深く楽しい物語を語っています。この動画では、トーベのパートナーのトゥーリッキ・ピエティラが撮影した未公開映像も観ることができますよ。
興味深い依頼
トーベが描いたたった一枚のムーミンの絵画作品は、実はトーベの友人でもあった風変わりな貴族ヨーラン・オーケルイェルムからの依頼でした。
1950年代、ムーミンとトーベはすでにとても有名になっていました。このスウェーデンの貴族、ヨーラン・“シェルシァール”・オーケルイェルム伯爵も、トーベのファンの一人でした。彼は、島の家の暖炉の上に飾るために、トーベの絵がほしいと思っていたのです。ヨーランは、彼が同性愛者だと知った父親から、国外に移住して資産を手にするか、スウェーデンに留まり相続権を放棄するか、という最後通告を受けて、フィンランド・オーランド諸島の最南端に位置する離島シェルシァールに移住していたのでした。
ヨーラン・“シェルシァール”・オーケルイェルム伯爵
写真:Anja Andersen
ヨーランはなかなか変わった人物でした。トーベと連絡が取れなかったヨーランは、スウェーデンの民族衣装に身を包んでトーベの母シグネの家を訪ねて彼女を驚かせただけでなく、トーベを追ってパリに飛んだりと、あの手この手を使って、最初は渋っていたトーベにムーミンをテーマにした絵を依頼することに成功したのでした。
「切り立った岩とか、ヒステリックなフィリフヨンカとか、海の生きものとか、何でもいいから」
トーベとヨーランはその後友人となり、トーベと、生涯のパートナーだったトゥーリッキ・ピエティラは度々シェルシァールを訪れました。このミニドキュメンタリー動画には、そのときの未公開映像が収録されています。
ムーミンをテーマにした唯一の絵画
評伝『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』(邦訳は河出書房新社)で知られる美術史家トゥーラ・カルヤライネンは、このシェルシァールの作品は、トーベの他の絵画とはまったく異なり、ムーミンの挿絵や1930年代から1940年代にかけてトーベが描いた壁画と密接な関係があるといいます。ムーミンの挿絵には物語を語るという役割があり、壁画もまた、明確な目的と依頼とがあります。トーベは絵画の依頼を受けることはほとんどありませんでした。トーベは美術とムーミンの世界を混ぜたくはなかったのです。
そのためこのシェルシァールの絵画は、ムーミンの物語に登場する2人のフィリフヨンカとおとぎ話に出てくるような海の生きもの、貝と真珠、そして険しい山などの要素が取り入れられた、唯一無二のものになりました。
「色彩も彼女の他の絵画作品とはかなり異なります。これはムーミンのイラストレーションのような色使いですよね。だからといってこの絵を評価しないというわけではないですが」とカルヤライネンは語ります。
「初めてこの絵を見たとき、トーベはなぜこれを描いたのだろうと思いました。そして、トーベが何を望んでいるかを知っている人からの依頼だったのだと理解しました。これは“友人が友人のために”描いた作品なんです」
“友人が友人のために”描いた作品
またカルヤライネンは、1950年代は抽象画がトレンドだったと説明しています。絵画を描くときでさえも、常にストーリーテラーだったトーベは、当時の美術界ではやや異端でした。またトーベは、ムーミンが大成功したことによって、すべての時間をムーミンに費やさなくてはなりませんでした。絵を描く時間はなく、このシェルシァールの絵が彼女の最後の作品のひとつとなったのです。カルヤライネンによると、この絵はムーミンの世界を描いているというだけでなく、その後ムーミンによってトーベの人生からいかに絵画が押し出されていったかを象徴していると見ることもできるといいます。
「トーベを芸術家として高く評価しているので、私個人にとってはそれはとても残念なことですが」とカルヤライネンは述べています。
絵の分析を求められ、カルヤライネンは、2人のフィリフヨンカをトーベとトゥーリッキ、海の生きものをヨーランだと解釈できると語っています。海の生きものが持っている貝がらは贈りもので、これはヨーランがトーベとトゥーリッキに、シェルシァール特有の素晴らしい風景をプレゼントしていることを表しているのだといいます。二人はいく度も島を訪れ、島の頂上には「トーベの小屋」と呼ばれる家も残されています。しかし、この訪問にはいろいろ問題もあったようで、サウナの温度が十分熱くなかったり、夕食のためには島で肉体労働を手伝わなければならないという厳しいルールがあったりと、トゥーリッキは特にそのことをよく思っていなかったようです。
ミニドキュメンタリー「ワイルド・クリフ–トーベ・ヤンソンとオーランド諸島の唯一無二のムーミンの絵画」は以下からご覧になれますよ。
翻訳/内山さつき